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当館の仕事が確立するまでのこと 

2021-05-02

 私は上州座繰りに興味を持ち、初めて群馬県を訪れたのは2001年の冬だったと記憶しています。その頃の私は、美術短大時代から京都に住み、そのまま就職、社会人をしながら染織で食べて行きたいと思いゆるゆると過ごしていました。そんなとき転機が訪れました。趣味の骨董市巡りで中古の着物の山から手触りの良い一枚を手にしたのです。それまで感じた事のない布の感触に、その理由を探りました。思い至ったのは、「糸が違う」のではないかということでした。

 


 私が漠然と知る絹糸は、製糸工場で量産されるもので、機械化以前の絹糸がどのように作られていたか疑問を持ったことはありませんでした。そして、取っ掛かりとなったのが群馬県の赤城山麓の上州座繰りです。これは「赤城の座繰り糸」や「節糸」などといわれ、民芸の流れを汲む染織家を中心に一部の人たちに愛好されました。この座繰り仕事は賃引きといい、糸繭商が座繰りをする人に繭を渡し、できた生糸を買い取る内職です。私は、この女性たちの仕事とその糸に魅せられました。染織をやめ、座繰りを生業にしたいと思い至ります。


🔼 以下、掲載画像はクリックすると拡大します。

 群馬へ移住するにあたり、碓氷製糸農業協同組合へ就職、2年間お世話になりました。このときの経験は、その後の独立にたいへんプラスになりました。赤城の賃引きは、糸繭商が持ち込む繭を座繰りし、揚げ返すまでですが、製糸工場では繭の入荷から保管、選別、繰糸、再繰、出荷までの流れを間近で見ることができました。機械製糸の生糸を知ることで、手作りの糸がどのようであるべきかを自分なりに獲得できたと思います。独立して2年程は、一戸の養蚕農家と年間契約し、その繭を購入して座繰り生糸の受注生産をしていました。


その後、契約農家さんが養蚕を引退することになります。当時は、高齢化で担い手はなく養蚕農家は減る一方でした。新たな農家と契約できても、また数年後には同じ問題が発生するでしょう。国産繭で今後も長く座繰りを続けるためには、自ら蚕の飼育を身に付けておく必要があると考え始めます。そんな折り、養蚕を学ぶ機会がおとずれ、県の蚕糸技術センターで養蚕の基礎を学び、2007年から3期にわたって養蚕農家で研修を受けました。そのときから、当館の繭は自家生産に切り替わっています。添付画像:契約農家さんの母家二階上蔟室入口


 2008年の最後の研修時、NHK『ふるさと一番!』で取材いただいたときの記念写真です。私の養蚕の先生は、先に述べたセンターに勤務した経験があり、サラリーマンをしながら小規模養蚕を経営しました。繭の値段が良かった時代、サラリーマンの家でも畑を持つ家庭では桑を植え、養蚕を副業しました。先生夫婦の家庭では、養蚕建物には設備投資していましたが、それ以外の道具はなるべく資金を掛けず工夫していました。私の養蚕も小規模ですから、このノウハウはたいへん身になりました。


 研修後の養蚕は前途多難でした。養蚕で収入が激減したのです。当館の養蚕は年2回で、1蚕期の飼育期間は1ヶ月と少しくらいです。それ以外にも桑畑の除草や追肥作業などを含めると3ヶ月以上は無収入になりました。良い繭を得るには、良い桑を育てることが大切だと理解はしているのですが、直接収入に結びつかない桑畑の管理は、時に気持ちを空しくしました。

 


 3年という期間は物事を判断する1つの区切りとなるようです。繭の自家生産は諦め、座繰り専業に戻そうかと思い悩んでいたころ、結婚が機となり、現在は二人三脚で養蚕を続けています。

 当館の養蚕シーズンは、5月から始まる春蚕と9月の晩秋蚕です。掃立(卵からふ化したばかりの蚕を蚕卵紙から飼育スペースに移すこと)から飼育を行なう設備があるので、特殊な蚕品種も飼育可能です。ご依頼でお客様が指定される品種を飼育することもあります。


 繭の品種は、群馬県オリジナル蚕品種の「ぐんま200」が中心です。常時 4種類は確保しています。ラインナップは「ぐんま200」、「新小石丸」、「ぐんま黄金」、「原種小石丸」などです。

農家から繭を購入していた頃は、品種を自由に選べませんでした。製糸工場に在籍していたときに、特殊な繭の繰糸も行ないましたが、自家生産になり、その経験値はさらに増しました。

 


 蚕の飼育期間以外は、座繰り生糸の受注生産をしています。生糸の種類は、大まかには2種類です。赤城のように節がある節糸(玉糸)と 節が無い本糸です。

 繊度(糸の太さ)については、節糸は180〜300dくらいが多いです。本糸は繭3粒程の極細から300dくらいまでです。それ以上の太さは、合糸で対応します。

 この10年ほどは、節の無い本糸のご注文が主流です。細くしなやかな絹糸をお求めになられることが多いです。ご注文の大半は着尺や帯用の糸なので、呉服の流行によるのでしょう。


 撚糸、精練も承ります。以前は専門業者に完全委託していましたが、年々小ロットの加工を頼める業者が減っています。10年ほど前からは切実になり、当館では合撚機等の設備導入もしています。撚糸の施し方で糸の表情はガラッと変わりますからとても重要です。

20年ほど前は、座繰りだけを考えていましたが、時代とともに携わる内容が幅広くなりました。当館は手工業ですから、細やかに製作工程に変化をつけることができます。お客様とご相談しながら、オーダーメイドの素敵な糸を探求して行きたいと日々試行錯誤しています。